後遺症で、匂いがわからなくなりました。
花の匂いがわからない、食べ物が腐っていてもわからない。うなぎ屋の前を通ってもウナギの煙はただの煙。ガスが漏れていてもわからない。ものすごく不安になりますし、楽しみもずいぶんと減った気がします。
仏教の有名なお経で「般若心経」があります。お経の中に「色声香味触法」「眼耳鼻舌身意」という言葉が出てきます。お経の中で、これらの言葉の頭に「無」がくっついて、「無色声香味触法」「無眼耳鼻舌身意」と書かれています。要するに見たこと、聞いたこと、匂ったこと、味わったこと、触れたこと、心に感じたことに定まりはなく決まりもなく一喜一憂している。だからこだわらないで生きた方が窮屈にならずに生きられる、と言うようなことらしいのです。考えてみると、生きている間に美味しいとかまずいとか、いい匂いとか臭いとか、毎日一喜一憂して生きているのですが、そこにこだわらなければいちいち悩んだり苦しんだりしないで楽に生きいきられるということでしょうか。
また「修証義」という曹洞宗の有名なお経があります。その中で(死ぬときは誰も助けてくれない)「ただ独り黄泉に赴くのみなり、己に従い行くは善悪業等のみなり」とあります。家族も財産もなにもあの世には持って行けないよ。と言っています。
現在、私は匂いがほぼわからない状況です。ハーブなど香りが関係する食べ物は味までわからなくなりました。日本酒も燗をつけると乙類が甲類に変化したような味わいです。お酒やハーブなどはおそらく味覚に嗅覚が合わさって「味」が形成されているのでしょうか。嗅覚を失って初めて気づかされます。でもくよくよしても何もいいことはないので、まだ残されているもの(機能・眼耳舌身意)を楽しみながら生きることにしたいと思います。いつかは全て無くなるものですから。「気の持ちよう」がシニア世代になってこれから生きるために大切な気がしています。
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